『 青春歌年鑑('73-2 ) 』

〜 「傷つく世代」から「小さな体験」まで 〜


1 学生街の喫茶店 / ガロ
2 早春の港 / 南沙織
3 色づく街 / 南沙織
4 心の旅 / チューリップ
5 恋する夏の日 / 天地真理
6 赤い風船 / 浅田美代子
7 若葉のささやき / 天地真理
8 裸のビーナス / 郷ひろみ
9 草原の輝き / アグネス・チャン
10 個人授業 / フィンガー5
11 君の誕生日 / ガロ
12 赤とんぼの唄 / あのねのね
13 春のおとずれ / 小柳ルミ子
14 他人の関係 / 金井克子
15 そして、神戸 / 内山田洋とクールファイブ
16 傷つく世代 / 南沙織
17 コーヒーショップで / あべ静江
18 情熱の嵐 / 西城秀樹
19 同棲時代 / 大信田礼子
20 君が美しすぎて / 野口五郎
21 恋の十字路 / 欧陽菲菲
22 おきざりにした悲しみは / よしだたくろう
23 紙風船 / 赤い鳥
24 絹の靴下 / 夏木マリ
25 甘い十字架 / 布施明
26 狙いうち / 山本リンダ
27 青い果実 / 山口百恵
28 街の灯り / 堺正章
29 たどりついたらいつも雨ふり / モップス
30 小さな体験 / 郷ひろみ


 忙しさにかまけて釜揚げうどんなどを食べていたら、すっかり更新が滞ってしまいました。が、4月に入ってうーんと暇になってきたので再開します。…という前回の原稿を書いたのが4月のようなので、それから既に5ヶ月が経過しちゃいましたが、皆さま、いかがお過ごしでしょうか?僕はですね、イカを食べたりしながら過ごしておりました。わりと好きなんですよね、イカ。あ、でも、イカと里芋を煮付けたヤツはあまり好みではありません。里芋のネバネバがイカに乗り移って、イカがネバネバになっちゃうところがどうも嫌です。基本的にネバネバ系は駄目ですからね。アメリカに移住することになっても、ネバダ州だけはやめようと思っている程なんですが、ということで今回のサブテーマは “ 「傷つく世代」 から 「小さな体験」まで ” ですか。何だかどんな歌なのかちっともピンとこないので、ま、適当に書き進めることに致しましょう。

 まずは南沙織「傷つく世代」 (作詞:有馬三重子/作曲:筒美京平) ですか。 “傷つく世代” というのは恐らく中年のことでありましょう。中年世代は傷つきやすいです。「鳥の中でいちばん傷つきやすいのは、キツツキってか?」…というギャグがウケなかったくらいで、大いに傷ついてイジけてしまいますからね。とっても扱いにくい生き物だと思います。で、この歌の作詞者は有馬三重子という人なんですね。去年、有馬温泉に行った三重県人である僕には大いに気になる存在なんですが、どういう人なのかはよくわかりません。でもって、 「傷つく世代」 というのもどういう歌なのか、よくわかりません。えーと、会えば会うほどアイツ〜、とても謎なの〜、優しくって、頑固で、冷たくて〜♪ …という歌なんですな。なるほど、確かに“謎”ですよね。優しいのか、頑固なのか、冷たいのか、はっきりしろ!…と文句のひとつも言いたくなってしまいますが、ああん、そんなのじゃなくって、優しくて、頑固で、冷たいのぉ。…って、沙織ちゃんの回答も何だか今ひとつ要領を得ません。ま、でも、“謎”なんだからしょうがないよね。…ということでこの問題はクリアして、で、この2人はですね、街を歩いていても喧嘩をしちゃうわけです。そういう男とは別れたほうがいいんじゃないか?…という気がしないでもないんですが、でも沙織ちゃんは、そういうところが愛しくて、青春なのね〜♪…と言っているのであります。いや、中年世代には理解不能でありますな。どうせ若い女の子の気持ちなんか分からないしぃ。…と、思わずイジけてしまいますが、曲としてはなかなか勢いがあって、畳み掛けるような展開もあって、なかなかよいのではないかと思います。個人的には、駄目ね、駄目ね、私、駄目ね、可愛そうに♪…というところが、好きっ☆

 で、17曲目はあべ静江「コーヒーショップで」 (作詞:阿久悠/作曲:三木たかし) ですか。あべ静江というのはアレですよね。安倍川餅が好きで、家では姑から虐められている。そういったキャラですよね。いや、あくまでも何となくそういうイメージがあるんですが、やはり、ふすまの桟に指を滑らせて、「○○さん、この埃は何かしら?」…と姑が嫁をいびる場合、その嫁の名前は“静江”じゃないと駄目だと思うし。で、この 「コーヒーショップで」 という歌はそんな静江さんのデビュー曲なんですが、テーマとしてはアレですよね。学生街の喫茶店。そこのマスターが昔の思い出を語るという趣旨なんですが、そんなマスターも、今はフォークの〜ギターを弾いて〜、時の流れを見つめてる〜♪…というワケでありますな。いや、いいトシこいて何やってんだか。…という感じですよね。若気の至りでフォークのギターを弾いていた青年が、心を入れ替えて喫茶店のマスターになったというのならまだワカランでもないんですが、話はまったくその反対ですからね。せっかくの職を投げ打って、何やってんだかこのオッサン。 でもまあ、当時はフォークギターを弾くのが流行っていたから、オッサンの気持ちはワカランでもないんですけどね。フォークはあくまでも趣味として、仕事のほうはきっちりと続ける。そんな分別が欲しかったところであります。曲としては、まあ、叙情歌謡といった感じですかね?ま、悪くはないんじゃないでしょうか。個人的にはそれほど好きではありませんけど。

 18曲目は西城秀樹「情熱の嵐」 (作詞:たかたかし/作曲:鈴木邦彦) です。たかたかし。いいですなぁ。名前が何だかとっても韻を踏んでいるところが、限りなく素敵だと思います。 “ひろひろし” ではなくて、あくまでも “たかたかし” でなければ駄目ですよね。いや、あくまでも個人的な趣向の問題ではあるんですけど。で、この曲はアレです。イントロからもう、ギンギンに熱いです。 「ウーッ!」 という、まるでボディブローでも食らったような声まで入っていて、ファンにはもう、たまらんものとなっております。で、歌い出しはこうですよね。君が望むなら、ヒデキー!) 、命をあげてもいい♪ヒデキー!) …って、思わず大向こうから “ヒデキ・コール” が聞こえてきちゃいましたね。当時のギャル達はこのようにヒデキに熱狂していたわけでありますが、ギャルにモテる男というのは何だかとっても悔しいから、男子児童の間での人気は今ひとつだったような気がします。西城秀樹って何だか、“おでき”みたいやん。…と、本人には何の責任もないところでインネンを付けたりしていたわけなんですが、オトナになって冷静に考えてみると、この歌にはかなり、 にしきのあきら (←現・スターにしきの)の 「空に太陽がある限り」 が入っておりますな。“その瞳〜 (その瞳〜) 、僕のもの〜 (僕のもの〜) 、この体〜 (この体〜) 、君のもの〜♪ …と、コール&レスポンスになるあたり、まんまパクリではないかと思われます。ま、別にどうでもいいんですけどね。 それよりも問題なのは、この体、君のもの〜…という部分でありまして、そんなこと言われても、僕にその気はないしぃ。…と、当時の男子児童はずいぶんと気色の悪い思いでこの歌を聴いていたものでありました。いや、すけべなギャルは喜んでいたのかもしれませんけど。

 大信田礼子「同棲時代」 (作詞:上村一夫/作曲:都倉俊一) という歌は、今回始めて耳にしました。ホントにこんなの流行ってたんですかね?一部マニアだけの間で騒がれていただけなんじゃないか?…という気がしないでもないんですが、72年に刊行された上村一夫の漫画 「同棲時代」 を元にしたものなんだとか。なるほど、詞を書いたのも原作者本人なんですね。で、この曲はいきなり、愛はいつも、いくつかの過ちに満たされている。…という、サスペンスドラマ風の陰気なナレーションで幕を開け、聞いていた僕はかなり引いてしまいました。なんぢゃこれは?…みたいな。歌の部分は歌詞が限りなく陰気であること以外、意外とまともだったりするんですが、出だしのインパクトがあまりにも強すぎて、素直に歌の世界に入っていけない自分がいる。…と、そんな思いを払拭することが出来ませんでした。子守唄代わりに子供に聞かせたりすれば、ひきつけを起こすことは必至。いやきっと、健やかに成長することでありましょう。

 えーと、続きましては野口五郎「君が美しすぎて」 (作詞:千家和也/作曲:馬飼野俊一) ですか。西城秀樹郷ひろみ野口五郎の3人は何と呼ばれていたんでしたっけ? “花の中三トリオ” ? いや、違いますね。中三ではないし、それほど “” があるようにも見えないしぃ。そうではなくて、 “ものまね四天王” でしたかね?いや、それも違いますよね。ものまねが得意そうには見えないし、3人だから四天王でもないしぃ。 “新御三家” というのが恐らく正解ではなかったかと思うんですが、3人の中では野口五郎がいちばん地味ですよね。それも、ずば抜けて地味であります。 “たのきんトリオ” でいうと、よっちゃんみたいな存在ですかね?ちなみに “たのきんトリオ” は西城秀樹と同じような理由で男子児童からは嫌われていたんですが、中ではわりと、よっちゃんだけは評判がよかったですね。地味でどうでもいい存在だから、別にどうでもいいやぁ。…みたいな。近藤真彦は駄目でした。3人の中ではわりとルックスも小マシなほうなので、嫉まれたのでしょう。「 “たのきんトリオ” の中で、近藤真彦だけ仲間はずれやん。田原の “” 、野村の “” で、最後が近藤なら、 “たのこん” のはずやん。」…などと、基本的にどうでもいいところで攻撃されてましたからね。で、70年代の男子児童も野口五郎に関してだけは、わりと好意的でした。「西城秀樹はアクションが派手なだけ、郷ひろみは眉毛が濃いだけやん!」…と敵意を向き出しにすることはあっても、野口五郎は大丈夫でした。短足である。…というイメージが定着していたため、シンパシーを得られやすかったんでしょうな。で、大人になって改めて彼の歌を聴いてみると、歌唱力は抜群でありますな。作品自体も受け狙いや奇を衒ったところがなくて、あくまでも正統派です。いや、意外と実力者だったんですな。ただ、美し過ぎて、君がこわい〜、美しすぎて、愛がこわい〜♪…などと真顔で歌われると、関西人としてはちょっと引いてしまうところがあって、そこのところがややマイナス材料ではなかろうかと。

 で、21曲目は欧陽菲菲「恋の十字路」 (作詞:橋本淳/作曲:筒美京平) です。欧陽菲菲というのはアレですよね。何となく、中華料理にありそうな名前ですよね。具体的にどういう種類の中華料理なのか?…と聞かれるとちょっと困るんですが、ま、欧陽(オーヤン)を菲菲(フィーフィー)したものというか、あるいは菲菲(フィーフィー)を欧陽(オーヤン)でどうにかしちゃったというか。欧陽(オーヤン)されたアツアツの菲菲(フィーフィー)をフーフーしながら食べると、もう最高っ♪…みたいな。とまあ、そんな菲菲ちゃんでありますが、この当時はまだ、日本語の発音があまりにも怪しげでありますな。この 「恋の十字路」 の最初の部分も、女がひとり出来ること、指をカメて祈ること♪…と聞こえて、何だかよくわかりません。何だかよくわかりませんが、最後の部分の、恋、恋、あい・うぉんちゅー・らぶ・みー・とぅないと♪…という英語の発音はなかなか流暢ありまして、そのギャップがなんとも楽しいところでありますな。で、この歌のテーマはアレです。恋の十字路に立って、真っ直ぐ行こうか、曲がろうかと迷っている女。いやあ、演歌ですな。が、メロディはというと、作曲者が筒美京平だけになかなかポップな出来でありまして、ま、とはいってもさほど優れた作品であるようには思えないんですけどね。総括すると、フツーである。そんな1曲ではないかと思います。

 続いては、よしだたくろう「おきざりにした悲しみは」 (作詞:岡本おさみ/作曲:吉田拓郎 ) ですか。これはいけません。何がよくないのかと言うと、曲名をぱっと目にした時、 「おにぎりにした悲しみは」 に見えてしまうところが、非常によくありません。悲しみを “おにぎり” にして、どうすんねん!?…みたいな。 “おむすび” にしろよ!…と言いたくなっちゃいますよね。いや、同じやんという気がしないでもないんですけど。で、この歌、今の耳で聴いてもまったく古さを感じさせませんよね。今時、自分のことを “おいら” なんていうヤツ、おらんやろ?…というのが唯一、古めかしさを感じさせるポイントなんですが、ま、当時はこれが最先端の一人称だったわけですしね。じゃ、二人称は何なのかと言うと、“お前”。ま、これは普通ですね。もう少し時代があたらしくなると、男でも女でも相手のことを “あんた” と呼ぶのが流行るわけですが、僕はやっぱり自分のことは “さばぴょん” と呼ばれたいですね。いや、人前でそう呼ばれるのは非常に恥ずかしいものがあるので、影でこっそり呼んでくれればいいんですけどね。ということで、この曲に関しては、おしまい。

 23曲目は 赤い鳥「紙風船」 (作詞:黒田三郎/作曲:後藤悦治郎) ですか。当時、今の感覚からすれば良識を疑うような趣味の悪いグループ名を付けるのが流行っていたようですが、いったい何が嬉しくて、 “赤い鳥” なんてネーミングにしたんですかね?これがもし “赤い赤貝” とかだったら、「赤貝は赤いに決まっとるがな!」…とツッコミを入れることが出来るんですが、 “赤い鳥” ではボケとしてもあまりにも中途半端です。これでは何だか、ただの焼き鳥屋みたいですもんね。関係者各位の猛省を促したいところでありますが、この 「紙風船」 というのはなかなか面白い歌ですよね。歌詞としては非常に単純でありまして、落ちてきたら、今度はもっと、高く、高く、打ち上げようよ〜、高く、高く、打ち上げようよ♪…って、基本的にはそんだけ。この単一フレーズを延々と繰り返しているだけです。で、曲調がですね、これまた何とも気分が落ち込んでくるような暗いムードが漂っておりまして、歌詞の引用の最後に “” を付けるのも何だか憚られるほど。ニュアンス的には、高く、高く、打ち上げようよ(怨)…としたほうが正しいかも知れませんね。紙風船遊びというのはもっと明るく楽しく無邪気なものだと思うんですが、これでは何だかアジトにこもって消火器爆弾を製造しているような感じですな。…と思っていると、曲調が一転して、何だか急に御陽気モードに突入しちゃいました。何だか新しい歌詞まで登場しているし、いったい急にどうしちゃったんでしょうね?彼らの心理変化にはちょっとついていけないものがあるので、とりあえず次の曲にいっちゃいましょう。

 夏木マリ「絹の靴下」 (作詞:阿久悠/作曲:川口真) 。これまた、変な名前を付けたものですな。いや、夏木マリというのは普通だと思うんですが、何も “靴下” をテーマにしなくても。…と思わずにはいられません。あんなもの、ただ臭いだけですもんね。もっとも夏木マリの靴下というのはあまり臭くなくて、何だかフェロモンがムンムン♪…という気がするわけなんですが、歌自体もアレですね。とってもエロいです。もしかしたら島倉千代子の 「人生エロエロ」 よりもエロいんじゃないですかね? で、“絹の靴下” というのはですね、“上流階級”の象徴として描かれているようですね。普通、上流社会の象徴と言えば、黒のベンツだとか、金ぴかの便器とかを思い浮かべるわけなんですが、そこにあえて “絹の靴下” を持ってきたところに作詞家・阿久悠の凄さが感じられます。もう、嫌っ、絹の靴下は、私を駄目にする〜♪…って、ま、確かに絹の靴下というのは体育館でバスケットボールをしたりする際には、足元が滑ってぜんぜん駄目なんですけどね。体育館バスケは素足が一番だと思うんですが、マリちゃんは別にバスケに張り切りたいわけではなくて、歌詞はこのように続いております。ああん、抱いて、獣のように〜、裸の私に、火を着けて〜♪…って、こりゃ、家で娘が大声で歌っていたりしたら、真っ先にお母さんに叱られるような歌でありますな。当時、家では 「“絹の靴下”禁止令」 が出されたという思い出のあるギャルは少なくないのではないでしょうか。

 布施明という歌手はあまり好きではありません。気障っぽいところが何とも言えず、嫌ですよね。布施博という俳優もあまり好きではなくて、あの名作、 『私をスキーに連れてって』 は、こいつが出ていたおかげで品位が13%くらい下がったんじゃないかと思うんですが、でなきゃ、金熊賞くらいは取れる映画だったんですけどね。布施一族の中ではフセイン大統領というのがわりと好きだったんですが、穴の中に隠れているところを発見されて、口の中を検査されている映像を目の当たりにした時は、心の底か落胆してしまいました。和菓子ならやっぱり落雁やろ?…と思わずにはいられませんでした。いや、ぜんぜん関係のない話なんですけどね。あれでもし、潔く自分で腹を切って死んだりしていればそれなりに評価も上がったんでしょうが、 “生きて虜囚の辱めを受けず” という日本軍の心意気を教えてあげたいものですな。いや僕は別に自害を礼賛するわけではないんですが、そんなことでまあ、僕はあまり布施明が好きではないわけでありまして。好きでもない歌手の歌を解説するのもあまり気が進まないので、おざなりで済ませちゃおうと思うんですが、 「甘い十字架」 (作詞:安井かずみ/作曲:加瀬邦彦) はアレです。何だかとっても、うざい歌だと思いました。そんだけ。

 いやあ、本当におざなりでしたね。布施教の信者からカミソリの刃を送りつけられても文句は言えないところでありますが、最近、剃毛用に使っているカミソリの切れ味が悪くなってきたので、ちょうどいいんですけどね。で、ご家庭でお母さんから “禁止令” が出されるということでは、山本リンダ「狙いうち」 (作詞:阿久悠/作曲:都倉俊一) だって負けてはおりません。下品ですからね、これ。同じ “リンダもの” でも 「もうどうにもとまらない」 は改めて聴き直してみるとラテン・パーカッションのノリが凄かったんですが、それに比べると 「狙いうち」 のほうは存外フツーですな。歌詞は下品なんですが、曲自体は意外とノーマルです。高校野球の応援席でブラスバンドが演奏していても、まったく違和感はありませんからね。個人的な感想を述べさせて貰うと、この歌は “ヘイの人” が素晴らしいと思います。ほら、イントロの部分で、ちゃんちゃちゃちゃちゃん、ヘイ!ちゃちゃちゃちゃちゃん、ヘイ!…掛け声を掛けている人たち(←推計約3名)がいますよね?あの掛け声がとっても威勢がよくて好きなんですよね。子供の頃は憧れの的でありまして、大きくなったら “ヘイの人” になるんだ。…とか思っておりました。ま、結局のところその夢は叶わなかったわけなんですが、大人になって冷静に考えてみると、そんなワケのわからない人にならなくてよかったような気もするんですけどね。

 で、続いては山口百恵「青い果実」 (作詞:千家和也/作曲:都倉俊一) です。以前、このコーナーで山口百恵特集を組んだ際、この曲に関してはあまり記憶がなかったので軽い扱いでお茶を濁してしまったんですが、あーなたが望むなら、私、何をされてもいいの〜、いけない娘だと、噂されてもいい〜♪…という歌だったんですね。確かデビュー2作目くらいなので、百恵ちゃんは当時15歳くらいだと思うんですが、声がなんとも幼くて可愛らしいですな。こんな声で、あーなたが望むなら、私、何をされてもいいの♪…などと言われると、おじさんは何だかとってもドギマキしちゃうマギー史郎。…といった感じなんですが、えっ?ホントにいいの?あんなことやら、こんなこと。ああん、そんなことまでぇ♪…って、想像がどんどん膨らんでいって、いけません。自分をもっと大切にしようね。…と、おじさんは百恵ちゃんに忠告しておきたいと思います。ま、パンツをちらっと見せてくれるくらいとことはしてもらってもいいような気はするんですけど。

 さ、残すところあと3曲です。書いているほうも読んでいるほうも互いに疲れてきていると思うので、後は軽く流しておきましょう。で、23曲目は堺正章「街の灯り」 (作詞:阿久悠/作曲:浜圭介) です。堺正章という人はお正月の隠し芸大会の時に多彩な芸を披露してくれる芸人なんですが、影でこっそり隠れて歌まで歌っていたんですな。で、この 「街の灯り」 というのも実にノーマルな作りとなっております。ジャンルとしては、歌謡曲とフォークの中間派?…といったところでしょうか、しっとりとした仕上がりでありまして、 “しっとりタイプ” のメロンパンが好きな人にはいいかも知れません。個人的には “かさかさタイプ” のほうが好きなので、この作風はどうか?…という気がしないでもないんですが、ま、歌とメロンパンというのは別物ですからね。

 で、続いては、モップス「たどりついたらいつも雨ふり」 (作詞:吉田拓郎/作曲:吉田拓郎) ですか。いいですよねぇ、モップス。ま、僕はどちらかというと、モップよりもデッキブラシのほうが好きなんですが、そういう個人的な感情を差し引いても、モップスというのはたいへん実力のあるバンドだったと評価しております。いや、どういう人たちなのかぜんぜん知らないんですけどね。この 「たどりついたらいつも雨ふり」 というのも初めて耳にしたんですが、なるほど、吉田拓郎の作詞・作曲なんですな。言われてみれば、いかにもそんな感じの仕上がりであります。自分のことを、 “おいら” とか言ってるしぃ。拓郎本人に比べると、ボーカルの兄ちゃんの声質がややワイルドなところが特徴でありまして、なかなかカッコイイではありませんか。ギャルだったら思わず失神しちゃうかも知れませんね。婆さんだったら思わず失禁しちゃうだろうし、かぶれ症の人なら湿疹が出ちゃうことは必至。とまあ、そんな1曲なのでありました。そんだけ。

 で、73年度版の最後を飾るのは、郷ひろみ「小さな体験」 (作詞:岩谷時子/作曲:筒美京平) でございます。トリを務めるにはやや若輩者という気がしないでもないんですが、当時の郷ひろみの声質って、“甘い”のを通り越して、ほとんどガキですもんね。前にもこのコーナーに書きましたが、まるっきり “声変わりしたばかりの中学生” みたいな。聴いていて非常に不愉快です。で、 「小さな体験」 と言われてもどんな歌なのかまったくピンとこなかったんですが、どうしてそんなに綺麗になるの、僕だけの君で、いて欲しいのに、誰が誘いかけても知らないふりしているんだよ、いいね♪…という歌でありました。いや、何だか聴いていて、とっても不愉快です。誰が誘いかけても知らないふりしているんだよ、いいね!…って、中学生の分際でオンナに命令するなんて、生意気なんじゃ!…と思わずにはいられません。10年早いんじゃい、われ。ま、こいつの彼女なんだからどうせ相手も中学生なんでしょうが、大人の魅力と中年の渋さで誘惑したろかい!?…と思ってしまいますよね。「おい、ねーちゃん、アメちゃんやるで、俺と付き合わへんけ?」…みたいな。でもまあ、彼女のほうには別に罪はないわけなので、ちらっとパンツを見せてくれたら、それで許してやってもいいかな?…という気がしないでもありません。

 とまあそういうことで、 “73年版” は、おしまい。

( つづく♪ )


INDEX
BACK NEXT