山口百恵 / 『 美・サイレント 』

〜じらすのが楽しい宇能鴻一郎的世界〜



 君は“花の中三トリオ”の中では誰が好きかな?僕はやっぱり舟木一夫だね。あの哀愁に溢れた歌詞がたまらん。…って、それは“御三家”ですね。ああん、“御三家”と、「高校三年生」と、“中三トリオ”がごちゃまぜになっちゃったぁ。…って、普通、間違えへんやろ!…という気もするんですが、いいですよねぇ、“中三トリオ”。例えば“中風トリオ”なんかと比べてみても華があります。で、僕は桜田淳子派でした。僕にはどういうわけだかコドモの頃から“2番目志向”みたいなところがあって、じゃ、何か?桜田淳子は“花の中三トリオ”の中では2番目だったとでも言うのか?…と、統一教会のヒトに叱られるかも知れませんが、僕の心の中ではそういうイメージがあるんですよね。ということで、今日は山口百恵です。話の流れとして、まったくなってないような気もするんですが、桜田淳子の歌って、何だかあまり記憶に残っていないんですよね。1回分の原稿をまかなえるだけの自信がないというか、ま、いずれネタに困ったら勝負しなければならないな。…という気はしているんですが、とにかく今日は山口百恵菊池桃子でもなくて百恵。家が燃えても百恵。ワケがわかんないけど百恵。そういった心境でございまして。

 さて、ここでカルトな問題です。第1問。“花の中三トリオ”は全部で何人? 続いて第2問。“花の中三トリオ”がデビューしたのは学年で言うと何年生の時?…って、いや、どこがカルトなんや?…と言いたくなるようなあまりにも基本的な問題でしたね。でも、カルトって書いてあるから何か裏があるんぢゃないか?…と深読みして、「トリオだけど活動していたのは別々だから1人。」とか、「デビューしたのは中三だけど、森昌子だけはどう見ても老けていたから本当は42歳。」などと答えた人はハズレです。正解はそれぞれ、“3人”と“中学3年生”でいいと思います。いや、ちゃんと調べてみたわけではないので、もしかしたら間違っているかも知れませんが、僕が卒業した小学校の文集には、“あほんだらトリオ4人組”などと書いているアホがいましたしね。ま、自覚しているだけマシ?…といった感じもするんですが、しかし中学3年生でプロデビューとは、いまから考えるとえらく早いですよね。ちなみにデビューのきっかけはテレビのタレント・スカウト番組、『スター誕生』だったと思います。いやあ、懐かしいですなぁ、“スタ誕”。当時は“牛タン”、“血痰”と並んで、“世界の3大タン”に数えられていたものでありますが、いや、そんなものを3つ並べて論じてみたところで別にどうなるものでもないんですけどね。で、デビュー作は1973年5月発売の 「としごろ」 (作詞:千家和也  作曲:都倉俊一)という曲なんですが、「としごろ」という曲名の前には“人にめざめる14才”などというキャッチーコピーが書いてあります。新井薫子の“瞳・少・女”みたいなものですかね?何だか“ロリ系写真集”のオビに書いてある惹句のようでありますが、僕はこの 「としごろ」 という歌に関してはまったく何の記憶もありません。73年と言えば僕は5ちゃい、ま、仕方ありませんな。キャンディーズのデビュー曲、 「あなたに夢中」 の発売が73年の4月だから、時期的にはまるっきりバッティングすることになりますね。僕は長らくキャンディーズのライバルはピンクレディであるという認識を持っていたんですが、 「ペッパー警部」 の発売が1976年なので、後ろのほうに3年ほどズレていることになります。真のライバルは山口百恵であったわけですね。で、 「あなたに夢中」オリコン(←たぶん)のチャートで最高33位とやや出遅れたのに対して、 「としごろ」 は最高で37位。実にこう、いい勝負というか、ドングリの背比べというか、五十歩百歩というか、三歩進んで二歩下がるというか、レコードの売り上げはわずか6万7000枚だったというから、“スタ誕”出身者のわりには何だかえらく地味なデビューだったんですな。で、この歌の音源を手に入れることが出来たのでちょっと聴いてみたんですが、何だか声がもの凄く幼いですね。ま、当時14歳だったわけだからそれも当然かも知れませんが、僕が山口百恵に対して抱いていた“ややハスキーな声”というイメージとはかなりかけ離れております。で、歌そのものも正統的というか清純派というか、いかにもアイドルっぽい感じのものでありました。バックに“とぅ〜とぅとぅ〜とぅ〜♪”という女性コーラスが入ったりするところがいかにも時代を感じさせ、ほのぼのとした気分になってしまいます。

 で、キャンディーズがチャートのベスト10入りを果たすのは、シングル5作目の 「年下の男の子」 (最高6位)まで待たなければなりませんが、山口百恵は2作目にしてその偉業を達成しております。 「青い果実」 (作詞:千家和也 作曲:都倉俊一)が最高9位って、これ、どんな歌でしたかね?僕が手に入れた音源の中にこの歌もあったような気がするんですが、知らねーや。…と思って消しちゃったような気がします。ちなみに歌い出しは“あなたが望むなら 私何をされてもいいわ〜♪”…という歌詞だったようですが、後の大ヒット曲、 「ひと夏の経験」 (作詞:千家和也 作曲:都倉俊一)を予感させるような路線だったと推測されますね。そりゃ、14歳くらいの女の子にこんな歌を歌われた日にゃ、おじさんが喜びますって。何をされてもイイ♪…って、あんなことやら、そんなこと、もう、こんなことまで、うひょひょひょひょ♪…って、自分の心の奥に潜むヘンタイ性に気付かされて、思わず愕然としてしまったおじさんも少なくないことと思います。はい、次。73年最後の作品となる 「禁じられた遊び」 (作詞:千家和也 作曲:都倉俊一)は最高12位と惜しくもベルト10入りを逃し、何でもいいけどこのタイトルを見ると、 『禁じられたあわび』 というすけべサイトを思い出してしまいますなぁ。あ、とてつもなく危険なサイトなので、検索してチェックしようか?…などと考えてはいけません。少なくとも会社とか学校のパソコンでやってはいけません。どうしても見たいというのなら、ウチに帰ってからこっそりと鑑賞されることを推奨しますが、74年最初のシングル、 「春風のいたずら」 (作詞:千家和也 作曲:都倉俊一)は11位。これまた惜しいですねぇ。で、山口百恵がブレイクするのは何といっても5作目の 「ひと夏の経験」 でありまして、“あなたに女の子のいちばん大切なものをあげるわ〜♪”という刺激的な歌詞は世間に衝撃を与えました。無論、当時まだ6ちゃいだった僕には“女の子のいちばん大切なもの”の 意味など分かろうはずもなく、いや、オトナになった今でもよくわからんのですけどね。海で拾った綺麗な貝殻だとか、レンゲで編んだ花の首飾りだとか、ウミウシのホルマリン漬けだとか、そういったものなんですかね?いずれにせよ当時のおじさん達はこの歌を聴きながらニヤニヤしていたに違いなく、いや、そういうオトナにはなりたくないものでありますなぁ。“汚れてもいいっ、捨ててもいいっ♪”と、新島の夏に決意を秘めた百恵ちゃんでありますが、いや、何も舞台を新島に限定する必要はないんですけどね。で、この歌を久しぶりに聴き直してみたんですが、まだ声には幼い感じが残っておりました。この頃にはもう女子高生になっていたのかも知れませんが、いずれにせよまだ15歳か16歳ですもんね。聴いているうちに何だか悪いすけべなおじさんに騙されてオモチャにされているウブな女子高生の姿が浮かんで、切ない気分になってしまいました。ちなみに、これほどの有名曲であるにもかかわらず、チャートの最高順位は3位。なかなかトップまで上り詰める曲ってないものなんですなぁ。

 はい、次。 『ちっぽけな感傷』 (作詞:千家和也 作曲:都倉俊一)。知りません。チャートの最高順位はこれまた3位。知らない曲のわりには健闘しておりますが、ま、僕が知らないだけの話でそこそこ有名な歌なのかも知れませんけどね。で、山口百恵の歌で初めて1位に輝いたのは何かと思ったら、次に出た 『冬の色』 (作詞:千家和也 作曲:都倉俊一)というのでありました。何だかすごく意外ですね。知らんもん、そんな歌。で、僕の記憶に残っている歌となると、3作ほど飛ばして 『白い約束』 (作詞:千家和也 作曲:三木たかし)というのが、何とか曲名くらいは覚えているかな?…といった感じでありまして、ちなみにこの曲から作曲者が都倉俊一から三木たかしに替わっております。備考として『絶唱』のテーマとありましたので、この頃からテレビドラマとのタイアップが始まったみたいですね。ちなみに先ほどの 「冬の色」 というのは自ら主演をつとめた映画、 『伊豆の踊り子』 の主題歌だそうでありまして、やはりこの手のメディアミックス戦術というのは効果があるものなんですなぁ。で、この映画で初めて共演したのが三浦友和でありまして、今から思えばこの頃から友和クンは現役女子高生である百恵ちゃんをたぶらかしていたものと思われます。怪しからんですね。が、僕は子供の頃から映画とかテレビドラマの類にはまったく無縁な生活を送っていたコドモでありまして、山口百恵という名前を強く意識するようになったのは1976年6月発売の 『横須賀ストーリー』 (作詞:阿木燿子 作曲:宇崎竜童)でありましょう。作曲にダウンタウンブギウギバンド宇崎竜童を起用した最初の作品でありまして、阿木燿子とのコンビネーションは彼女の引退直前まで続くことになります。“山口百恵=ちょっぴりグレた少女”という路線が定着するのはこの作品からでありますが、今、改めて聴き返してみると、歌詞自体は意外と純情っぽかったりもするんですけどね。何といっても冒頭の“これっきりこれっきりもう、これっきりですか〜♪”…というフレーズが印象的でありまして、温泉旅館に泊まった東海林さだおが出された料理の少なさに愕然として、半泣きになりながら、“これっきりこれっきりもう、これっきりですかぁ?”と歌ったりしておりました。ちなみにこの歌は堂々、チャートの第1位に輝いております。さすがですね。

 で、ここで南極…って、ああん、そんな“さちこ”を持って越冬しにいく所じゃなくて、何曲か飛ばします。 『イミテイション・ゴールド』 (作詞:阿木燿子 作曲:宇崎竜童)。これはいいですね。何がいいかというと、“あん、あん、あん♪”というところがいいです。そんな歌詞、あったっけ?…と思われるかも知れませんが、“あん、あん、あん、いーみてーしょん・ごーるど♪”…というところに3回ほど繰り返しで登場します。“あん、あん、あん♪”とも“あ〜、あ〜、あ〜♪”とも取れるんですが、いずれにせよとっても調子がよくて、聴いていて思わず一緒に“あん、あん、あん♪”…と歌ってしまいます。が、歌詞自体は 『横須賀ストーリー』 よりも遥かに“蓮っ葉路線”でありまして、好きだったオトコと別れて、今は違うオトコと暮らしているけど、どうしても去年のオトコと比べてしまう。所詮、今のオトコは“イミテーション・ゴールド”なのよ。…って、そんなん、あんまりやん!…と、思わず今のオトコに同情してしまうような内容となっておりました。パックの牛乳をイソイソと持って来るようなマメな男なのにねぇ。。。“声が違う、年が違う、夢が違う♪”というのはまだワカランでもないんですが、“ほくろが違う♪”とか、“きき腕違う♪”に至っては、そんなこと言われてもぉ。…と言った感じですよね。いったい、どうせえちゅうねん!?

 はい、次。 『秋桜(コスモス)』 (作詞・作曲:さだまさし)…って、こんな時期の歌だったんですね。こんな時期というのは1977年のことなんですが、山口百恵のキャリアで言うと、真ん中よりちょっと後…といったあたりになります。いや、何となくもっと最後のほうの歌だとばかり思っておりました。前曲から一転して、しっとりとしたオトナの女…といった感じの歌でありまして、いや、これはいけません。何がいけないって、僕はこの歌を聴く涙が止まらなくなってしまうんですが、こういうのは販促…って、販売促進している場合じゃなくて、こういうのは反則ですよね。さだまさしの“母もの”としては 「無縁坂」 と並ぶ傑作でありまして、外で大きな声で 「絶対絶命」 (←後述)を歌って、「そんなガラの悪い歌を歌ってはいけません!」とお母さんに叱られた女の子も、この歌だったら大丈夫。山口百恵の歌では 「いい日旅立ち」 (←後述)と並ぶ安全パイであると言えるでしょう。“こんな小春日和の穏やかな日は〜♪”というサビのフレーズは、何度聴いても泣けますなぁ。ただしこれ、子供にはあまりウケなかったのか、ランキングとしては3位どまりだったようです。で、続いては 「赤い絆(レッド・センセーション)」 。作詞:松本隆、作曲:平尾昌晃来ましたかぁ。前曲の叙情派フォーク路線から一転してポップ系の装いですよね。“レーッド・センセイショーン♪”というサビの部分はなかなかセンセーションなんですが、中国の南部にあるのは陝西省。(←つまらん。)ということで、次。 「プレイバックpart2」 (作詞:阿木燿子 作曲:宇崎竜童)。僕のイメージではもっと初期の作品かと思っておりましたが、発売は1978年だったんですな。僕は既に10歳になっておりましたので、テレビで彼女が歌っている姿を何となくではありますが記憶しているような気もします。彼女の歌の中ではいちばん有名な作品かも知れませんが、意外にもチャートでは2位どまり。で、子供の頃から疑問に思っていたのは、何で“Part2”なんや?…ということなんですが、ちょっと調べてみたところ、まったく知られてはいないけど、 「プレイバックPart1」 という歌も確かにあった。…という不確実な情報もいくつか得られました。 『プレイバック』 というアルバムに入っているんだそうです。いや、よくは知りませんけど。とにかく、何だかよくわからないけど“パート2”なんだぁ。…ということで、子供ながらに自分を納得させていたような気がするので、それはそれでいいではありませんか。で、この歌は何と言っても冒頭、“緑の中を走り抜けてく真っ赤なポルシェ〜♪”というフレーズが印象的でしたね。この歌を聴いて、僕も大きくなったら真っ赤なポルシェを買うんだぁ。…と思ってしまった少年は少なくないに違いなく、僕もそんな一人でした。が、大きくなってもその夢を叶えることは出来ず、初めて持った自分のクルマは真っ白なコロナ(←しかも中古)だったんですが、音楽的な見地で言うと、“ちょっと待って、プレイバック、プレイバック♪”のところで使われたストップ・タイムが実に効果的だという気がします。歌詞としては 「イミテーション・ゴールド」 に通じる“蓮っ葉路線”でありまして、“馬鹿にしないでよぉ!”という台詞は流行語大賞にもなりましたよね。いや、当時、そのような企画があったかどうかはサダカではありませんけど。

 続く 「絶体絶命」 (作詞:阿木燿子 作曲:宇崎竜童)というのも同じ路線を継承しております。テーマはずばり、“略奪愛不倫”。場面としてはホテルのロビー、もしくは郊外の喫茶店といった」感じでしょうか。妻と子のある身でありながら、若いヤンキー娘に手を出してしまった下柳雄一37歳。(←誰?) そのことが妻の庸子33歳にバレて、ああ、愛のエターナル・トライアングル。とにかくまあ、話し合おうじゃないか。…というのでホテルのロビー、もしくは郊外の喫茶店にやってきたわけでありますが、非道な仕打ちに耐え忍ぶ妻・庸子の姿がいじらしいですな。白いハンカチを噛み締めたり、コーヒーを飲む口元がかすかに震えていたり。夫には裏切られるわ、ヤンキー娘には絡まれるわで、もう踏んだり蹴ったりですよね。で、この歌のキメ台詞は2つあります。“はっきりカタを付けてよ〜”と、“やってられないわ〜”。こりゃ、お母さんに「ガラが悪いっ!」と叱られるハズですね。が、もっと問題なのは夫の雄一郎(←いつから“”が付くようになった?)の煮え切らない態度でありまして、話し合いの場に遅れてくるわ、「2人とも落ち着いて。」とか、「2人とも愛してる。」とか、無責任なことばかり言うわで、ま、結局のところこの歌に彼が登場するのは1番・2番を通じてこの2回だけなんですけどね。で、いよいよこれから“絶体絶命”の修羅場が展開されるのか?…と思っていたら、わりとあっさり“カタがついて”しまいました。妻・庸子の涙の重さに負けたモモエがきっぱりと勝負から降りることになって、最後に捨て台詞を一言、「やってられないわ。」

 で、この次に出されたのが 『いい日旅立ち』 (作詞・作曲:谷村新司)です。“不良系”が売り物なんだけど、あまりにそのイメージが定着してもナンなので、ガラの悪い歌の後にはニューミュージック系のしっとりとしたバラードを。…といった戦略なんでしょうか。今度は谷村新司で来ました。すけべ顔ではありますが、いい歌を書きますからね、新司。で、その戦略は見事に功を奏して、山口百恵大人の女。…というイメージが定着した次第でありますが、何だかあまりに正しすぎる歌のような気がして、ここで詳しく触れるのはやめておきましょう。僕の趣味はむしろ、79年3月に発売された 「美・サイレント」 (作詞:阿木燿子 作曲:宇崎竜童)のほうにあります。この歌はまず、タイトルの付け方が素晴らしいですね。“Be Silemt”の“Be”を漢字で“”と表記したところに“夜露死苦的な族美学”が感じられ、かと言って全部漢字で“美・犀恋酢”としちゃうのはちょっとやり過ぎなので、そのバランス感覚が絶妙だと思います。で、この歌は今までさほど気になるような存在ではなかったんですが、今回改めて聴き直してみて、その深さを改めて再認識してしまいました。いや、曲自体は多少ジプシーがかってはいるものの、さして印象に残るような派手なものではないんですが、歌詞がちょっとイカしています。“あなたの○○○○がほしいのです、燃えてる××××が好きだから♪”って、アイドル歌手がこんな宇能鴻一郎的な歌を歌ってもいいのかっ!?…と、ウブな僕は思わずドキドキしちゃいました。で、実際、この“○○○○”と“××××”の部分では歌声が途切れてバックの演奏だけが流れるんですが、いやあ、斬新な発想ですなぁ。この沈黙がすなわち“美・サイレント”ということなんだと思いますが、歌謡曲史上、初めて“伏せ字”の要素を取り入れたエポックメイキングな作品として高く評価していいと思います。いつの間にやらすっかり色っぽくなった百恵ちゃんが最後に囁くフレーズもいいですよね。“女の私にここまで言わせて、じらすのは、じらすのは、楽しいですか?” 僕は声を大にして言いたいです。じらすのは楽しいっ♪

 さ、とりあえず今日の表題曲まで無事にたどり着けましたので、後は軽く流しておきましょう。2曲ほど飛ばして、 「愛染橋」 (作詞:松本隆 作曲:堀内孝雄)。いや、こういう路線ってけっこう好きなんですよね。叙情派フォーク調というか、ニューミュージック風演歌というか、これはいったい誰の作曲なんですかね?…と思っていたら、堀内孝雄だったんですな。なるほどぉ。で、 「美・サイレント」 で“伏せ字手法”を開拓した彼女が、今度は“はんなりとした関西の女”を演じております。いいですよねぇ、こういうのも。これで山口百恵オトナ路線もすっかり定着したなぁ。…という感じでありますが、その後に出されたのが 「謝肉祭」 (作詞:阿木燿子 作曲:宇崎竜童)という曲でありますな。子供の頃はタイトルの意味がよくわからなかったから、「謝肉祭。」「ヤニ臭い。」「ウンコ臭い。」「わはははははは。」と言って笑っておりましたが、今から思えばラテン・タッチのなかなか悪くない曲ですよね。今から思えば“ヤニ臭い”はともかく、“ウンコ臭い”というのは全然関係ないしぃ。で、その次が 「ロックンロール・ウィドウ」 (作詞:阿木燿子 作曲:宇崎竜童)です。久々、ガラの悪いモモエが戻って来ましたね。イメージ的には初期の作品のような気がしてたんですが、こんなドン詰まりの時期に出された曲だったんですね。ちなみに名古屋地区のコドモは皆、“ロックンロールういろう、ははは〜ん♪”と歌っておりました。

 君は山口百恵のラスト・シングルが何か知ってるかな? 「さよならの向こう側」 (作詞:阿木燿子 作曲:宇崎竜童)。僕はずっとそうだと思ってました。そう信じたまま大きくなって、とうとうこのトシになってしまいました。が、これは最後から2番目に出した曲だったんですね。ちーっとも知りませんでした。曲名的にも歌詞の内容としても、いかにも“最後”に相応しいナンバーなんですけどね。で、もうひとつ意外だったのはこの曲を作ったのが阿木燿子宇崎竜童のコンビだと言うことでありまして、ブギウギらしからぬしっとりとしたいい曲に仕上がってますよね。えー、この歌に関して言いたいことは、以上です。じゃ、山口百恵のラスト・シングルは何だったかというと、 「一恵」 (作詞:横須賀恵 作曲:谷村新司)という曲でありました。 「いい日旅立ち」 以来の新司モノで、しかも作詞の横須賀恵というのは実は山口百恵のこと…と、 話題性には事欠かないんですが、なんだかまったく印象に残っておりません。どんな歌なんですかね?

 とまあそういうことで今日のお話はおしまいなんですが、山口百恵に関しては今でも “百恵、萌え萌え♪” というスレッドが立てられるほど高い人気を誇ってますよね。じらしにじらしてモノにした三浦友和が、ちょっぴりうらやましいです。おしまい。

( おしまい♪ )


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