沢田研二 / 『 勝手にしやがれ 』

〜勝手にガイジンにされた男〜



 あ、私はジュリー派なんで、よろしくさばぴょん(^_^)

 ということで、ギャル系に顔文字付きで頼まれちゃった日にゃ、これはもう速攻で書かなければなりませぬ。かれい技士のリクエスト、“ビル・エヴァンスのDVDレビュー”は延び延びになっておりますが、アレは画面を見ながら一時停止したり巻き戻しをしたりしながら書かねばならんので、どうにも面倒でありまして。。。あ、そうそう。前回のキャンディーズ編に書いてあった“スーちゃんとミキちゃんが昭和56年生まれ、リーダー役のランちゃんがひとつ年上で昭和55年生まれです。”という記述、明らかに間違っておりましたので、こっそり訂正しておきました。1956年1955年生まれというのが正解ですね。某サイトに“55年生まれ”と書いてあったので、何の考えもなしに頭に“昭和”と付けてしまいました。で、僕が昭和43年生まれだから、ちょうど一回り違いかぁ。…などと思っておりました。ま、個人サイトに間違いは付き物ですので、気にするなって。(←反省の色なし。)

 で、本日のテーマは“ジュリー”です。この場合、“ジュリー”というのはジュリー・ロンドンのことではなく、沢田研二のことだよね?…と勝手に解釈して話を進めてみたいと思いますが、ということで「勝手にしやがれ」です。この歌がヒットしたのはいつ頃だったのか正確には覚えていないんですが、ピンクレディ「渚のシンドバット」と同時代だということは何となく想像が付きます。サザンオールスターズがこの2つの曲名を組み合わせてデビュー曲に「勝手にシンドバッド」というタイトルを付けたのは有名な話でありまして、で、調べてみたところ「勝手にしやがれ」「渚のシンドバット」が1977年、「勝手にシンドバット」が翌78年となっておりました。ということは、「勝手にしやがれ」当時、僕は9ちゃいということになりますね。となると、ごんあじ嬢あたりはもっと幼少であったに違いなく、それでいてジュリー派となると相当におませな女の子だったということになりますが、もうちょっと後の時代のジュリー・ファンだったということなのかも知れません。ところで僕は子供の頃からずっと疑問に思っていたんですが、どうして沢田研二のことを“ジュリー”って言うんですかね?沢田研二だったら普通、“サワケン”とか、“ケンちゃん”とか、“洗濯屋ケンちゃん”とか、そういう妥当な呼び方がいくらでもあると思うんですが、よりによって“ジュリー”。この疑問は“水前寺清子=チータ”と並んで長らく僕の懸案事項となっていたんですが、“チータ問題”のほうは、“チビの民子”(←本名らしい)、略して“チータ”ということで既に決着しております。そのツテでいくと、“重篤な淋病患者”、略して“ジュリー”ということだったりするのかも知れませんが、絶対に違うような気もするので、ここでその由来を調べてみたいと思います。

 ジュリー・アンドリュースという女優さんのファンだったから、らしい。…って、これはホントの話ですかね?とにかくまあ、ざっと調べてみた限りでは、大した由来がありそうもねーな。…という感じだったので、この問題はこれで打ち切りにしておこうと思いますが、沢田研二はグループサウンズ全盛時代に“ザ・タイガース”というグループで活躍していたことで知られております。ちなみに僕はGS全盛期というのは生まれていたかどうか瀬戸際といったところなので、無論、何の記憶もないわけでありますが、“OX(オックス)”のコンサートで失禁するギャルというのは、是非ともナマで見たかったものでありますなぁ。で、“ザ・タイガース”です。えーと、京都で結成された“サリーとプレイボーイズ”に沢田研二が加入し、“ファニーズ”と改名。66年に出演したTV番組のディレクターだった、すぎやまこういちにより“ザ・タイガース”に改名し、67年2月「僕のマリー」でデビュー。…とありますな。68年には「花の首飾り」が大ヒットしております。後に借金王として名を馳せる岸辺シローは途中参加だったようですね。で、ソロになった沢田研二71年「君をのせて」(作詞:岩谷時子 作曲:宮川泰)というシングルを発表しております。個人的にはまったく知らない曲ですな。作詞の岩谷時子という人は加山雄三「君といつまでも」とかを書いた人ですかね?ちなみにこの曲、“合歓ポピュラー・フェスティバル参加曲 400円規格”などと書いてありましたが、僕にはなんのことやらよくわかりません。当時、シングルレコードの値段が1枚400円だったということなんですかね?それが72年には500円、76年以降は600円となっておりまして、僕の記憶では“シングルレコードは700えん”という印象があったんですが、となると、わりと頻繁に値上げされて来たんですな。タマゴを見習え!…と言いたくなってしまいますが、それはそうと、“合歓ポピュラー・フェスティバル”というのは恐らく、伊勢志摩にあるヤマハ系のリゾート施設“合歓の郷”で行なわれていたイベントなのでありましょう。そっかぁ。ジュリー浜島町に来てたんですね。そうと知っていれば見に行くべきでありましたなぁ。いや、3歳児が見て面白いイベントだとはとても思えませんけど。

 で、沢田研二のシングルレコードを年代順に追っていっても、なかなかピンとくるものがありませんなぁ。ソロ2作目の「許されない愛」(作詞:山上路夫 作曲:加瀬邦彦)というのは第14回日本レコード大賞の“歌唱賞”を受賞したようなんですが、まったく記憶にありません。それにしても、何だか懐かしい響きですなぁ、“日本レコード大賞”って。日本の大晦日の風物詩としては、“もっこり大将”と肩を並べる一大イベントでありましたが、いや、ぜんぜん関係ないような気もするんですけどね、大晦日椎茸栽培セット。それはともかく、ジュリーは“レコ大”のナントカ賞の常連でありまして、73年発表の「危険なふたり」(安井かずみ/作曲:加瀬邦彦)では見事“大衆賞”に輝いております。いや、すばらしく名誉な賞ですなぁ。世間から広く「キミは大衆的だ。」と認められたわけでありまして、僕だったら、たとえ「やる。」と言われても、「いらん。」と断っちゃいますね。プライドが許しません。で、74年「追憶」(作詞:安井かずみ 作曲:加瀬邦彦)では2度目の“歌唱賞”に輝いております。これはけっこう嬉しいですよね。世間から広く「キミは歌がうまい。」と認められたわけでありまして、歌手としてこれほど名誉なことはありません。“大衆賞”ではせいぜい賞品も“サバ・イワシ・アジの詰め合わせ”くらいのものでしょうが、“歌唱賞”だったら、えーと…、“カシューナッツの詰め合わせ”とか。

 が、いくら歌唱力に優れていようとも、76年までのジュリーというのは記憶の中にはまったく無くて、 やはり僕が初めて彼の名前を意識するようになったのは77年「勝手にしやがれ」(作詞:阿久悠 作曲:大野克夫)でありましょう。流行りましたからねぇ。ちなみにこの曲でジュリーは初めて“レコ大”の“大賞”を受賞するわけでありますが、“大衆”から4年、ついに彼は業界のトップにまで上りつめるわけでございます。で、リクエストが急だったので楽曲データを手に入れる暇がなく、すべて記憶だけを頼りに書き進めなければならないことをお許し願いたいと思いますが、コドモ心にも「ガラの悪い歌やなぁ。。。」と思ってしまいましたね。「勝手にしやがれ」って、まずタイトルからしてガラがよくありません。これがもし、「勝手にしなはれ」だったら、はんなりとした関西的なムードを感じ取ることが出来るし、「勝手にしてちょ」と名古屋風にしてみてもよかったと思うんですが、「勝手にしやがれ」。確かにガラは悪いんですが、その不良っぽさに僕たちは痺れました。帽子を斜めに深くかぶったスタイルが、いかにも“大阪のチンピラ”といった感じで、オネーサン達にもウケました。僕もよく歌いましたもんね。ま、9ちゃいの子供には難しい歌詞だったと思うんですが、“壁際に寝返り打って、背中で聞いている〜、やっぱりお前は出てゆくんだな〜♪”でしたっけ? 続く、“悪いことばかりじゃ無いと思い出かきあつめ、鞄につめこむ気配がしてる〜♪”というところも、今から思えば実にいい歌詞ですね。いや、子供の頃はワケわかんなかったんですけどね。何となく床の上に寝転がっている行儀の悪いオネーサンをイメージしてたんですが、今から思えば寝返りうっているのはオトコのほうですよね。で、鞄に思い出を詰め込んでいるのがオネーサンのほうです。シチュエーションとしては、女にフラれた男がフテ寝をしている場面だと思いますが、“行ったきりなら幸せになるがいい♪”…と女の幸せを祈っているあたり、実に泣かせます。こんなにいい歌を書けるのに、どうしてピンクレディの場合は「透明人間」なんや!?…と、阿久悠を問い詰めたい気持ちでいっぱいでありますが、ということで、この曲に関してはおしまい。

 今回の表題曲の割にはあっさりしたレビューでありましたが、手元に音源がないと、ま、こんなものでありまして。で、ジュリーの曲って、「勝手にしやがれ」「TOKIO」以外に何かあったっけ?…と、今朝、通勤のクルマを走らせている時点では原稿の展開にかなり不安があったんですが、調べてみると、あんな曲やら、こんな曲。ああん、そんな曲までぇ♪…といった感じで、割と充実しておりました。えーと、「勝手にしやがれ」より前に、 75年の時点で「時の過ぎゆくままに」(作詞:阿久悠 作曲:大野克夫)というのが出ておりますな。これはかすかに記憶にあります。よって、76年までのジュリーというのは記憶の中にはまったく無くて…とした僕の発言は訂正しなければなりませんが、いや、もっと後の歌だと思っていたんですよね。人間、若いうちはグレたりして多少ガラも悪かったりするんだけど、大人になると落ち着いてくるものなんだよね。…というのが世間一般の流れでありまして、その意味でこの「時の過ぎゆくままに」という歌は、もっとオトナになったジュリーが歌っているものだとばかり思っておりました。“時の過ぎ行くままに〜、フフフフフフフ〜♪”と、サビのほんの一節しか知らないので途中からハミングになってしまいましたが、しっとりとした、いいオトナの歌だったように記憶しております。はい、次。77年発売の「憎みきれないろくでなし」(作詞:阿久悠 作曲:大野克夫)。この年は5月に「勝手にしやがれ」を出し、8月に「MEMORIES」という、コンセプトが今ひとつよくわからん英語の歌を出し、1ヶ月後には「憎みきれないろくでなし」と、もの凄い勢いで突っ走っておりますな。で、「憎みきれない〜」のほうが後から出たにもかかわらず、「勝手にしやがれ」のほうが“大賞”を受賞しているところを見ると、ややインパクトに欠ける嫌いがあったんじゃないかと推測されるわけでありますが、路線的に何だか、いかにも二番煎じといった感じがありますもんね。で、個人的には“憎みきれない、ろくでなし〜♪”というところしか記憶にないんですが、お巡りさんの帽子をかぶって、Tシャツにいっぱい安全ピンを刺したスタイルが、当時幼稚園児だったギャル達のハートを激しく揺さぶった模様です。いや、僕は幼稚園時代と言えば、「黄組だったなぁ。」といった程度の記憶しか残っていないんですが、女の子というのは誰しも早熟だったんですなぁ。。。

 で、翌78年、「サムライ」(作詞:阿久悠 作曲:大野克夫)というのが出ております。僕は記憶にないんですが、衣装としては半裸状態だったようです。派手な衣装を追求しようとすると、どんどん過激になっていくのが世の常でありますが、次はいよいよ、フリチン?…とか、心を時めかせていた幼稚園児も少なくないでしょう。で、どんな歌でしたっけ?“片手に〜ピストルぅ、心に〜花束ぁ〜♪”…とか、なんかそんな歌詞でしたよね。サムライなら“妖刀村正”とかにせえよ!…という気がしないでもないんですが、ま、何を武器に使おうが人の勝手なんですけどね。心に花束さえあれば僕はそれでいいと思います。次。「ダーリング」(作詞:阿久悠 作曲:大野克夫)。セーラー服を着て歌っていたそうです。フリチンを期待した私の立場はどうなるのよぉ!?…って、そんなことは知りません。次。「ヤマトより愛をこめて」(作詞:阿久悠 作曲:大野克夫)。そうそう、流行ったんですよね、宇宙戦艦ヤマト。ただ、個人的には“さらば〜地球よ〜♪”という歌のほうが好きでした。大きくなったらイスカンダルへ行くんだぁ!…とか思っておりました。が、未だにその夢は果たしておりません。イスカンダルどころか、伊予柑狩りにすら行ったことがありません。ま、伊予柑なんか狩ってみたところで、さほどたくさん食えるものでもないので別にいいんですが、「LOVE(抱きしめたい)」(作詞:阿久悠 作曲:大野克夫)。ビートルズのパクリやん。…というので、一部のビートルズ好きの間では評判がよくなかったようですが、 ま、パクったと言ってもタイトルだけだしぃ。そんなこと言ったら「センチメンタル・ジャーニー」松本伊代だって同罪ですもんね。あ、“松本伊代と行く伊予柑狩りツアー”というのは、ちょっといいかも知れませんね。とってもセンチメンタルなジャーニーを堪能出来るような気がするんですが、何だかとってもオトナを感じさせる歌でありましたなぁ、「LOVE(抱きしめたい)」は。僕はこういう路線、好きですね。で、79年には「カサブランカ・ダンディ」(作詞:阿久悠 作曲:大野克夫)というのが出ております。ウイスキーを飲んで、口から霧を吹く…という一発芸が印象的でありましたが、ウイスキーの壜の中身は単なる水だったそうです。…と、ここまではまさに、ジュリーの絶頂!…といった感じなんですが、ここでいきなり大コケします。1979年5月発売、「OH!ギャル」(作詞:阿久悠 作曲:大野克夫)…って、わはははあははあははは。こんな歌、ありましたっけ?おそらく沢田研二の自分史の中でも、この歌だけはなかったことにしておこう。…といった扱いになっているものと思われますが、続く「ロンリー・ウルフ」(作詞:喜多條忠 作曲:大野克夫)というのもちょっとインパクトに欠ける作品でありました。ああ、このままジュリーは思い出の彼方へと飛び去って行ってしまうのでありましょうか?

 …と思っていたら、いきなり空の上から舞い降りて来ました。どうやって舞い降りてきたのか言うと、パラシュートで降りて来ました。1980年発売の「TOKIO」(作詞:糸井重里 作曲:加瀬邦彦)…って、いや、これは衝撃的でしたな。“東京”のことを外国では“TOKIO”って呼ぶんだぁ。…ということを知らされたのはこの曲だったか、あるいはYMO「テクノポリス」が先だったかはサダカでありませんが、で、そもそもどうしてジュリーパラシュートなんかを背負っていたのかというと、“TOKIOは空を飛ぶ〜♪”からなんですけどね。いや、そう説明されても釈然としないものが残ってしまう自分を完全に払拭することは出来ないんですが、ま、空を飛ぶからパラシュートなんだと、簡単に考えておけばいいのではないかと。ちなみにこれ、の糸井重里作詞だったんですな。だから空を飛んでたんですね。ということで、糸井シリーズ第2弾、「恋のバッド・チューニング」(作詞:糸井重里 作曲:加瀬邦彦)。事件はこの時に起きました。テレビに出ていたジュリーの眼が青いっ!…というので大騒動になりました。いや、ただ青いコンタクトレンズをしていただけの話なんですが、クラスの女の子たちは、「ジュリーって本当はガイジンだたんだぁ♪」…と言って騒いでおりました。つい最近まで黒い眼をしたバリバリの日本人だったのに、急にガイジンになるわけがないっ!!

 …とまあそういうことで、僕の心の中で沢田研二という人は“勝手にガイジンにされた男”という印象が強いんですが、女の子たちにキャーキャー言われて、何だか腹の立つ存在だった…という思いもあります。僕もオトナになったら女の子をキャーキャー言わせてやるぞ!…と心に誓った僕でありますが、となると“露出狂”あたりが手頃なところですかね?…ということで1981年「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」(作詞:三浦徳子 作曲:沢田研二)。“おれのすべてを見せてやる〜♪”ってか?あ、これ、沢田研二の自作曲だったんですね。いずれにせよ、曲名の「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」の“”と“”の間に“(てん)”があって、発音しにくいやん!…と思わずにはいられない1曲でありました。ということで、残すところあと2曲。「おまえにチェックイン」(作詞:柳川英巳 作曲:大沢誉志幸)は、おおっ。大沢親分の曲だったんですな。知りませんでした。で、「6番目のユ・ウ・ウツ」(作詞:三浦徳子 作曲:西平彰)…と、僕の見たサイトでは表記されておりましたが、 “”と“”の間に“(てん)”はいらないんですかね?多分、付け忘れでしょうね。ま、別にどうでもいいんですけど。

 で、ジュリーこと沢田研二は今でも、ま、多少は中年太りしたとは言え、借金地獄に陥ることもガイジンになることもなく、元気で頑張っているようで、何よりです。そんだけ。

( おしまい♪ )


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