第5話 「クレオパトラの夢」


 クレオパトラ。いいですよね。僕は子供の頃から大好きでした。木の家に住んでいて、望遠鏡を覗いて欲しいものを見つけると 「クレクレ〜」 と言って、何でも欲しがるんですよね。…って、それはクレオパトラではなくて、クレクレタコラでありますか。 クレオパトラというのはあれですね。 “世界3大美女” の1人ですよね。 世界3大美女というのは、クレオパトラと楊貴妃と小野東風でしたっけ? いや、違いますね。 小野東風は “世界3大豆腐好き” として知られている人で、美人だったのは小野小町のほうですね。 で、クレオパトラと言えば、あの有名な言葉がすぐ頭に浮かんでくるんですが、 「クレオパトラの鼻があと1センチ低かったら、世界の歴史は変わっていただろう。」 と言ったのは、あらいぐまのラスカルでしたっけ? いや、違いますね。哲学者のパスカルですね。 さすがは哲学者だけあって、うまい事を言うなぁ。…と、子供心にも感心したものですが、アライグマではこうはいきません。ま、せいぜい、ク〜ンとか、グルルルと鳴いたりするのが関の山なんですが、世界史に関する名言としてはもうひとつ、 「エジプトはナイルの賜物」 なんてのもありますね。こちらはギリシアの歴史家であるヘロドトスの言葉なんですが、さすがは歴史家だけあって、うまい事を言うものですな。これがもし料理研究家だったら、 「生卵はタマゴの生物(なまもの)」 とか、そんな言葉しか出てこなかったに違いありません。

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 とまあそんなことで 「クレオパトラの夢」 でありますが、この曲を作ったのはバド・パウエルという人であります。 ジャズ・ミュージシャンを天才肌、職人肌、鳥肌、餅肌、鮫肌、姐御肌という6つのタイプに分類すると、彼の場合は典型的な敏感肌だったと思うんですが、いや、そんな選択肢は無かったような気もするんですが、とにかくまあ、過敏な神経の持ち主だったと言われております。神経が過敏で、好きな医療器具は尿瓶。そういうキャラであったと言われておりますが、ピアノの腕前のほうは抜群でありました。もう、西田敏行よりもピアノが弾けたと言われておりますが、あまりにも天才的で神懸りな演奏は正直なところ、素人が聴くにはかなり辛いものがあったりします。 かく言う僕も今から20年ほど前、ヴァーブというレーベルのベスト版CDに入っていたパウエルの 「二人でお茶を」 という演奏を聴いて、そのあまりの小難しさに、この人と一緒に二人でお茶を飲みたくはねーな。…と思ってしまったんですが、何だかちっとも気が休まらないような気がするんですよね。それならまだ、パウエル国務長官と湾岸戦争当時の思い出を語り合ったほうが楽しいような気がするんですが、あるいはライス国務長官とオムライスについて語り合うとか。美味しいですからね、オムライス。

 とまあ、そんなパウエル君でありますが、あまりにも天才過ぎたのが祟って、やがて精神を病んでしまうことになります。彼のプロフィールを Wikipedia から勝手に引用させて頂くと、


  バド・パウエル (Bud Powell 本名 : Earl Rudolph "Bud" Powell, 1924年9月27日 - 1966年7月31日)はジャズ・ピアニスト。

  チャーリー・パーカーやディジー・ガレスピーらによって確立されたビーバップスタイルのジャズを
  ジャズ・ピアノの分野に定着させ、「モダン・ジャズピアノの祖」とも称される。
  現代も続くピアノ、ベース、ドラムスの「ピアノ・トリオ」形式を創始した。

    ( 中 略 )

  1940年代後半から50年代初頭が音楽面の最盛期。麻薬やアルコールなどの中毒に苦しみ
  精神障害を負ったことから、50年代中期以降の衰えは著しい。


 ということになります。そうなんですよね。50年代中期以降はすっかり衰えちゃったんですよね。 が、衰えちゃったことが逆に幸いして、かつては取っ付きにくかったキャラが、すっかり “とっつぁん坊や” みたいになって、演奏のほうも人間的な温かみが感じられるようになって、素人にも分かりやすいスタイルに変貌を遂げることになりました。 そんな時代の代表作が 「クレオパトラの夢」 ということになるんですが、日本人好みの哀調を帯びたメロディが特にギャル系を中心に高い支持を得ておりまして、漫画の最初のコマでギャル猫が言っているように、テレビで使われたりもしております。 いや、僕はそれを自分の耳で確認したことはないんですが、どうやらパウエルのオリジナル・バージョンではなくて山本剛が演奏したものが、村上龍のトーク番組 『Ryu's Bar 気ままにいい夜』 のテーマ曲として使われていた模様です。 あと、サッポロビールのコマーシャルとかにも使われていたみたいですね。 ちなみに 『Ryu's Bar』 が放送されていたのは 1987年10月〜1990年9月ということなので、もしこのギャル猫がTVで聴いたことがあるのがこの番組のテーマ曲だとすれば、すくなくとも 1990年頃には生まれていたということになりますね。 ということは、もっとも若く見積れば16歳ということになるんですが、いやあ、ぴちぴちの現役女子高生ではありませんかー♪ そんなギャル猫を口説いている “さばりん” は淫行条例違反の疑いがあるわけですが、でもまあ、相手は猫ですからね。人間に換算すれば、ざっと4倍して64歳くらいということになるわけなので、こう見えて、けっこうお年を召している猫であるようなんですけど。

 とまあそれはそうと、ギャルを口説くのに 「クレオパトラの夢」 をリクエストするという “さばりん” の戦術は、なかなかいい線をいってると思います。パウエルの代表的なオリジナル曲に 「ウン・ポコ・ローコ」 というのもあるんですが、

 「えー、この曲、TVで聴いたことないし、何だかちょっと変。。。」
 「バド・パウエルの “ウン・ポコ・ローコ” っていうのさ。ウンポコ猫の君にぴったりだろ?」

 というのでは、その後の展開にまったく何の期待も出来ませんからね。何せ、相手は人間換算で64歳です。人生経験…というか、猫生経験が豊富なので、とおりいっぺんの口説き文句では、そう簡単には落とせません。そんな彼女もさすがにクレオパトラにはぐらっと心が傾いた模様でありますが、そのせっかくの努力も…。 という、オチに使われている 『ザ・シーン・チェンジズ』 というアルバムのジャケットというのは こんな感じ だったりするんですけど。 パウエルは 1924年生まれで、このアルバムが録音されたのが 1958年ということは、彼が34歳だった頃の作品ということになるわけですが、今の僕よりも年下だというのは、何だかちょっと不思議な気がしますな。 で、息子のパウ太郎くん(仮名)が当時4歳くらいだと仮定すると、今では52歳の立派なオッサンになっているわけで、今の僕よりうんと年上ということになるんですが、でもまあ、ギャル猫の人間換算年齢の一回りも下だから、まだぜんぜん大丈夫だと思いますけど。

 ちなみにクレオパトラという名前はギリシャ語で “父の栄光” を意味するんだそうで。 エジプト・プトレマイオス朝の王 (ファラオ) を父として持ったばかりに数奇な運命を辿ることになる彼女が見た夢というのは、もし生まれ変わる事が出来るとしたら、今度は平凡な家庭の娘として生まれたい。…とか、そういうものだったのかも知れません。 そしてまた、バド・パウエルという偉大な父を持った息子は、いったいどんな夢を見ていたのでしょう? そしてまた、ギャルと仲良くなりたい♪…という “さばりん” の夢は、この先も果てしなく続くのでありました。


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