第4話 「大味が好き」


 大味。英語で言うと、ビッグ・テイスト。…って、いや、多分これは間違っていると思いますが、えーと、正しくは “little flavor” というんですな。 大味なのに “リトル” というのは変ではないか?…という気もするんですが、これを正しく理解するには、まず日本語で “大味” というのがどういう味のことなのかを正しく認識しなければなりません。大味というのはですね、簡単に言うと、大きな味。…ということになるんですが、特大味ほどは大きくないんだけど、小味よりは間違いなく大きくて、もしかしたら中味よりも大きいかも知れない。そういうところに位置するのが大味ではないかと思います。

 世の中には大味な食べ物というのがいくつかあるんですが、僕が大味と聞いて真っ先に思いつくのは “みかん” でありますな。みかんには大きなみかんと小さなみかん、それに中くらいのみかんがあるんですが、大きなみかんというのは、概ね大味であると言っていいでしょう。僕が子供の頃、うちのおかんはよく、大きなみかんを食べて、「大きなみかんはやっぱり大味やね。」…と言っておりましたが、おかんがみかんについて語っているわけですからね。これはもう、間違いありません。大きなみかんはどうして大味になるのかというと、これはもう、 “大男、総身に智恵が回りかね…の法則” をそのまま適用すればいいわけで、男の部分をみかん、知恵の部分を甘みに替えてやればいいと思います。しかし何ですな。大男、総身に智恵が回りかね…というのは、とんでもなく差別的なことわざですよね。 「トレビアの泉」 に投稿すれば、 “ガセビアの沼” 行きは間違いないところですが、俗に “胸の大きな女は頭が悪い” …言われるとのと同様、まったく何の根拠もありません。 もしそれが本当なら、けっこう巨乳なタマ代ちゃんはどうなる?…と言いたくなってしまいますが、この俗諺は誰もが納得のいくものに換えるべきだと思いますね。例えばそうですな、 “胸の大きな女は乳がデカい” …とか?

 が、みかんに関して言えば、 “大男、総身に智恵が回りかね…の法則” が当て嵌まると言わざるを得ません。みかんの木が自分で生成する糖分の量が決められているとすると、みかんの実が大きくなればなるほど、糖分の密度としては当然、薄くなってしまいます。 例えばですね、僕が子供の頃、同じ学年に “かねも” というあだ名の子供がいたんですが、苗字が金本だから “かねも” というわけではなくて、家が土建屋で金持ちだから “かねも” なんですけどね。 で、この、かねも君のおうちに遊びに行って、3時のおやつにマロングラッセとカルピスが出されたとしたら、そのカルピスは非常に濃くて甘くて美味しいに違いありません。一方、さば君のおうちに遊びに行って、3時のおやつに粟おこしとカルピスが出されたとしたら、そのカルピスは非常に薄くて甘くなくて味気ないに違いありません。ちなみに僕は子供の頃、この “粟おこし” を “くりおこし” だと思っていて、どこにもクリが入ってないぢゃん!…というので、非常に不満に思っていたんですが、栗 (くり) ではなくて、粟 (あわ) だったんですな。ちっとも気付きませんでした。…という問題はさておいて、小さなみかんが甘くて、大きなみかんが大味なのは、かねも君のカルピスが甘くて、さば君のカルピスが甘くないのと同じだと思います。

 …という喩えは、あまり適切でない気もするんですが、かねも君と、さば君とでは、元となるカルピスの原液の蓄えに違いがあるわけですからね。みかんをどうしてもカルピスに喩えたいというのなら、小さなみかんは 50ccの原液を 150ccの水で薄めたカルピス、大きなみかんは 50ccの原液を欲張って 450ccの水で薄めたカルピスということになって、ぱっと見はカルピスが 500ccもあってお得なような気がするんですが、その実、ほとんど味がないただの水であるという。 すなわち、大味というのはビッグな味ということではなく、大ざっぱな味ということになるんですが、旨味や甘みが極めて少ないという意味で、英語では “little flavor” と言うのでありましょう。

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 この漫画を初めて見た時、僕は少なからぬショックを受けてしまいました。ロン・カーターに対する評価が、事のほか辛い。…ということにではなく、このマスター、こんなに所帯くさいオッサンやったんか!…というのが意外だったんですが、第1話を見た限りでは、クールで無口な硬骨漢…というイメージのキャラでしたからね。硬骨漢と言うのは、骨が硬いオサカナだって構わず頭からバリバリと噛み砕く、そういう男らしいネコのことを言うんですが、みそ汁のダシのきき具合とか、お茶の温度とか、意外と細かいことを気にするネコだったんですな、プトレマイオス・よしお。 対して、おくさんのボラ代はですね、あまりにも大ざっぱなキャラですよね。みかんで言うと大きなみかん、カルピスで言うと 500ccでありまして、でもそんな、自分とはまったく違う性格に惚れちゃったのさ♪…ということになるのではないかと思うんですが、いや、これがひとつ間違えると “性格の不一致” ということになって、離婚の原因になったりするんですけどね。

 ということで、ロン・カーターです。この人が大味かどうかというのは微妙なニュアンスを含んでいるので何とも言えないんですが、なんか薄い感じがする。…というのは、僕もよしおと同意見です。もともとベーシストという職業自体が素人の僕からすると、いてもいなくてもどうでもいいような存在に思えてならんのですが、例えばお店でCDを買う時に、僕の場合はレーベル→録音年→パーソネル→収録曲という順で見ていく事になります。ブルーノートの1964年モノでこのメンバーなら、だいたいこんなサウンドやな。…と、当たりを付けるわけでありますが、サイドマンにマイルス・デイビス・クインテットのメンバーの名前があったりすると、アルバムの価値が1ランクほど高くなったような気がします。 「ピアノがハービーなんだぁ。」 とか、 「タイコがトニーなのかぁ。」 ということになれば、それだけで買う気をソソられたりするんですが、ことロン・カーターに関して言うと、まったくそういうことはありません。むしろ、何となくウザそう。…と思ったりするんですが、では、嫌いなのか?…と言われると、やっぱり微妙なところなんですけどね。

 そういえば僕って、ロン・カーターについてはほとんど何も知らないよな。…という事に改めて気付いたんですが、知っているのと言えば、趣味が盆栽らしいという、実にどうでもいい話だけですからね。 そこで、改めて調べてみたんですが、えーと、 Wikipedia から無断で勝手に引用させて貰うと、バッハなどに傾倒し、初めチェロを習い、のちにコントラバスに転向。クラシックのコントラバス奏者を目指して1日8時間に及ぶ猛練習をするも、人種差別の壁もあってシンフォニーに入団できなかった。一方でジャズベーシストとしての活動を開始し、1959年にチコ・ハミルトンのグループでプロデビュー。 (中略) その柔軟で奔放なプレースタイルが、モード・ジャズの表現を模索していたマイルス・デイヴィスの目にとまり、ポール・チェンバースに代わるベーシストとして抜擢される。他メンバーが繰り出すモード・イディオムラインに対し、クロマッチックな音選びで絶妙の相性を見せたカーターは、1960年代のマイルス・ミュージックの屋台骨を支える重要な役割を果たす。ジャズ界の趨勢がモード・ジャズからフュージョンに移行しつつあった1960年代終盤、マイルスからエレキベースを弾くことを要求されてこれを拒否、マイルスのグループを去る。

 そうそう、クロマッチックな音選びなんですよね、ロン・カーター。いや、意味はまったく分からんのですが、昔ジャイアンツにいたクロマティのような演奏だと思っておけば、あながち間違いではないでしょう。 それはそうと、エレベを弾くのを拒否してマイルスの元を去ったというのは初耳でしたな。ま、盆栽好きということ以外はすべてが初耳になるんですが、ロン君ってば、意外と硬骨漢だったんですな。大味そうに見えて、その実、芯はしっかりしている。そんなところによしおは惚れちゃったのかも知れませんが、ちなみに僕は硬骨漢よりも、恍惚感のほうが好きだったりするんですけどー。

 そして僕はこの漫画を見て、ふと “大きなみかんの味” が恋しくなったのでありました。


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