新 井 薫 子 / 『 大和撫子“春”咲きます 』

〜セイコ世代の前頭4枚目〜



 さ、今週から新コーナーです。思いつきだけで新しいコーナーを作って、すぐに飽きて更新が滞る。そういうのを世間では“企画倒れ”というのだと思いますが、ま、“七転び八起き”という言葉もあることだしぃ。ま、おそらく“七転八倒”になるであろうことは既に目に見えておりますが、とりあえず『昭和歌謡大全』です。僕は今でこそ“あばんぎゃるどなジャズのお兄さま”をやっておりますが、ヤングな頃は人並みに歌謡曲などを聴いておりました。ラジオで“クラウンレコード1万円クイズ”を聞くのを何よりの楽しみにしている、そういう音楽少年だったわけでありますが、毎月抽選で1名様に1万円があたるとかいう、何だかとってもシケた企画だったような気がするんですが、子供心にも、クラウンレコードは経営が苦しいのか?…とか思ってしまいましたもんね。ただこの番組は経営が苦しいらしいクラウンレコードの所属歌手(北島三郎とかジョージ山本とか)の歌しか流してくれないので、子供心にも、「こりゃ、おっさんの聞く番組やな。」と思っておりました。だって、ぜんぜんつまんないしぃ。そこでヤングな僕はもっぱら土曜日の昼下がりにFM放送で“コーセー歌謡ベスト10”を聞くのを楽しみにしておりまして、その流れで“ダイヤトーン・ポップスベスト10”も聞いたりしておりましたが、元号が“昭和”から“平成”に変わった頃から僕はどっぷりとジャズの世界にはまり込んでしまいました。よって、僕にとって“歌謡曲”というのは昭和という時代のノスタルジーを呼び起こすアイテム…といった位置付けにあるわけですが、最近の僕は思い出したかのように昭和という時代の歌謡曲に耳を傾けたりしております。きっかけは極めて明白でありまして、DVDで『私をスキーに連れてって』を見ていたら、ユーミンの歌を聴きたくなったという。わははははははははは。こういう奴を世間では“単純”と呼ぶわけでありますが、そんなことでまあ、このコーナーでは僕がまだ紅顔の美少年だった頃に流行った歌の思い出などを語ってみたいと、ふと思い立ったわけなんですけどね、

 ということで、記念すべき第1回目に登場願うのは 新井薫子あらい・かおるこ) です。僕が彼女の名前を口にする時にいつも思うのは、“(こ)”が余分やろ?…ということなんですが、人の名前としては“(かおる)”だけでも充分にやっていけますよね。それにわざわざ“(こ)”を付けるというのは蛇足的な行為というか、屋上屋を重ねるというか、何だかとっても無駄なことのように思われてなりません。例えば僕の名前は“ゆうじ”なんですが、それにわざわざ“”を付けて、“ゆうじ子”とか言うか?…って、それはまた問題が別のような気もするんですが、いずれにせよ“新井薫子”って、ヘンな名前だよな。…というのが僕の第一印象でありました。“新井薫”でイイぢゃん。…と思わずにはいられませんが、ま、“新井薫”では何だかあまりB級アイドルっぽくないので、“”を付けて正解だったという気もするんですけどね。その意味で、彼女の所属プロダクションのネーミングセンスというのは微妙なところにあるな。…という感じなんですが、今回、彼女について調べてみてちょっと意外だったのは、“新井薫子”というのは本名だったということでありまして。親は何を考えて、こんなヘンな名前を付けたのでありましょうね?

 生まれながらにしてB級アイドルたることを約束されたような“薫子”でありますが、果たして彼女がどのような顔をしていたのか?…という点に関して、僕には明白な記憶がありません。そもそも僕のウチでは子供の頃、夜の8時半を過ぎるとテレビを見せて貰えないシステムとなっておりまして、よって『8時だよ!全員集合』も、体操とかコーラス隊のあたりになると、かなり記憶の片隅に霞んでしまっております。で、新井薫子というキャラは、僕の心の中では“8時半以前のテレビには出てこないタイプのタレント”に属しておりまして、今回、ネット上でシングルレコードのジャケット写真を見て、こういう顔だったのかぁ。…ということを初めて認識した次第でありますが、僕の第一印象としては、何とも“微妙な顔”でありますな。ふんわりとしたセミロングで、眉毛にまでかかるような軽くカールした前髪…というヘアスタイルは当時の流行だったからやむを得ないとして、とびっきりの美人でもないし、可愛いと言い切るには微妙だし、ま、確かに不細工ではないんですが、敢えてチャームポイントを挙げるとすれば、“ぱっちりとしたおめめ”ですかね?で、プロフィールとしては昭和40年6月4日生まれで、出身地は名古屋市となっております。僕より3つほどお姉さんなんですね。趣味は絵画旅行バスケットローラースケート…となっておりまして、仕方ないよね。当時、流行っていたもんね、ローラースケート。売り出しのコンセプトとしては、“ちょっぴり活動的な隣のお姉さん”といったところでしょうか?でも絵を書いたりする芸術的な側面も持ち合わせていて、好きな食べ物がケーキフルーツ…というのは、何だかとっても女の子らしくっていいですよね。…というか、あまりにもありきたり過ぎて、ちっとも実像が見えてこないプロフィールでありますが、それでいいんだよね、だってアイドルなんだしぃ。で、好きな色は。清純派のアイドルとして、紫のぱんつというのはどうか?…という気がしないでもないんですが、何もぱんつの色に限定した好みを聞いてるわけではないのかも知れません。

 デビュー曲は 「イニシャルは夏」 (作詞:三浦徳子 作曲:網倉一也 編曲:大村雅朗)。そういえば、そんな歌もあったっけ?…と、タイトルだけはぼんやりと記憶に残っておりますが、果たしてどんな歌だったやら・・・。その後、同じ作詞・作曲で、編曲者だけを萩田光雄に替えて 「赤い靴」 などという曲を出しておりますが、あまり得られるものが多くなかったのでありましょう。遂には千家和也作詞、筒美京平作曲の 「私の彼は左きき」 をカバーするという暴挙に出ております。相当に切羽詰っていたんでしょうなぁ。…と思わずにはいられませんが、この頃の“新井薫子”というのは、僕の心の片隅にすら引っかからないような存在でありました。そもそも僕はアイドルに入れあげたり、小学生をカツアゲたりといった行為とは無縁の生活をしてましたからね。僕にとって“”とは、ラジオから何気に流れてくるのを耳にして、ちょっといいかも?…と思ったりする程度の存在であったわけですが、そんな僕が“新井薫子”という名前を強く意識するようになったのは、ある日、ふと耳にした 「大和撫子“春”咲きます」 (作詞:岩里祐穂 作曲:岩里未央 編曲:見岳章) がきっかけでありまして、いやあ、これはインパクトがありましたなぁ。なんちゅうヘンな歌や。…とか思ってしまいましたもんね。ちなみに僕はこの歌をラジオでしか聴いたことがなく、曲名をどのように表記するのかという点について正確には把握しておらず、今までずっと 「ヤマトナデシコ、春咲きマス」 だとばかり思っておりました。特に最後の“〜マス”が片仮名である点だけは譲れないな。…と思っていたんですが、実際にはほとんど漢字表記だったんですな。ちょっと意外な気がしました。

 ちなみにこの歌が発売されたのは昭和57年だと思うんですが、西暦に直すと1982年。今から約20年前のことでありまして、僕は高校1年生だったと思います。3つ年上の薫子ちゃん18歳くらいですか。ぴちぴちですね。で、昔のギャル系アイドルの序列を相撲の番付になぞらえた 『チャート梁山泊』 というサイトがあるんですが、昭和57年の番付を見てみると、実に錚々たるメンバーが名前を連ねております。初場所春場所夏場所名古屋場所秋場所九州場所を通して“一人横綱状態”が続いているんですが、1年間にわたって堂々と東の正横綱を勤め上げたのは、あの“松田聖子”でございます。いや、確かに人気ありましたからなぁ。巷のギャルがみんな“聖子ちゃんカット”になっちゃった程なんですが、いや、僕は当時からまったくギャルとは無縁の生活を送っておりましたので、別にどうでもいんですけど。嫌いでしたしねぇ、聖子。ちなみに塩サバ2号はわりと入れあげていたようで、一人でこっそり、「ふれっしゅ、ふれっしゅ、ふれーっしゅ♪」…と口ずさんでいたりもしていたようなんですが、初場所の番付に目を落としてみると、東西の大関には“薬師丸ひろ子”と“河合奈保子”が、関脇には“柏原よしえ”と“松本伊代”が名前を連ねております。以下、“伊藤つかさ”、“三原順子”、“岩崎良美”、”石川ひとみ”、“香坂みゆき”、“榊原郁恵”、“浜田朱里”、“石野真子”といった名前が見られて、いや、なかなか豪華な顔ぶれでありますなぁ。いわばアイドルの“セイコ世代”と言えるかも知れませんが、この時点ではまだ“新井薫子”の名前は見られません。春場所の時点でもまた番付の下位でもがいていたようでありまして、 夏場所になってようやく前頭4枚目の地位に彼女の名前を見出すことが出来ます。結局のところ、彼女の番付としてはこれが最高位でありまして、その後は前頭の5〜6枚目あたりをウロウロしたあげく、“体力と気力の限界”を理由に引退に追い込まれたものと思われます。

 結局、三役力士にはなれなかった彼女が放った一瞬の輝き、まぐれで11勝くらいして生涯で唯一の“技能賞”を受賞したのが、 「大和撫子“春”咲きます」 だった。…というのが僕の“薫子感”なんですが、 正統派アイドル路線では芽を出すことが出来ず、カバー路線もこれといった成果が得られず、最後の賭けとして繰り出した“下手ひねり”がこの歌でありました。“大和撫子”というタイトルのわりには何だかエキゾチックなヘンな曲でありまして、聴いているほうにしてみれば、薫子ヤケクソか!?…といった悲壮感すら漂っておりましたが、この歌を編曲した見岳章って“一風堂”のメンバーだったんですね。そういえば、昔ありましたよねぇ、そんなグループ。 「すみれ September Love」 の大ヒットを放って、そのまま消えてしまったような気がしますが、言われてみれば確かに 「大和撫子“春”咲きます」 には、「すみれ September Love」 に通じるフィーリングがありますよね。

 昭和の歌謡史に咲いた“すみれ”と“大和撫子”の二輪の徒花。ちなみに、新井薫子が中学時代は不良だった。…という噂は、地元名古屋では今でも根強く息づいております。

( おしまい♪ )


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