第13話 「見た目で勝負」

(2008年07月11日更新)


 君はあっさりしてるのと、クドいのと、どっちが好きかな?僕はですね、断然あっさり派です。クドいのはよくありません。何故よくないのかと言うと、クドいから。…としか言いようが無いんですが、クドいキャラの人は存在自体が目障りだし、クドい味付けの料理はすぐに飽きるし、クドクドと同じことを言われると逆ギレしたくなるしで、いろんなジャンルにおいて、クドいというのは決してプラスの要素にはなりません。 一方、あっさりしているのはいいですよね。 あっさり系というと例えば、はごろもフーズの “甘みあっさりみかん” なんてのがそうなんですが、あれはいいです。どういうところがいいのかというと、甘みがあっさりしているところがいいんですが、従来のミカンの缶詰というのはシロップの甘みが強過ぎて、ミカン本来の味があまり分かりませんからね。 他にあっさりしたものというと、あっさりしたアサリとか、そんなのがあると思うんですが、それが好きかと言われると、ちょっと微妙だったりします。僕はアサリそのものがあまり好きではないですからね。アサリに限らず、貝類は全般的にちょっと苦手だったりするんですが、そんなことで桑名人をやっていけるのか?…というと、ま、桑名に住んでいるからって、毎日食卓に焼き蛤が出てくるわけではありませんし。 しじみの味噌汁というのはかなり高い頻度で出没するんですが、アレは基本的に身を食べるものではなく、ダシを味わうだけなので、さほど問題はありません。僕は別に貝の味が嫌いというワケではなく、ただ存在自体がどうしても好きになれないんですよね。何を考えて生きているのか分からないような格好をしてますもんね、貝。

 あっさりしたアサリならまだ、クドい工藤静香のほうがいいかも?…と思わないでもなくて、悪くないですからね、工藤静香。少なくとも亀井静香よりもマシなことだけは確かでありまして、 「MUGO・ん…色っぽい」 とか、なかなかの名曲だと思います。目と目で通じ合う、そういう仲になりたいわ♪…と、僕も常日頃から思っているんですが、クドくても静香、あっさりしててもアサリ。 その対象によって好き嫌いの感覚も違ってくるので、一概にクドいから駄目とは言い切れないところがあるようです。 ということで、次の質問。君は薄いのと濃いのでは、どっちが好きかな? これもまあ、ケース・バイ・ケースだと思うんですが、例えば頭の毛はなるべく濃いほうが好ましいんですが、その他の部位の毛はなるだけ薄いほうがいいような気がします。僕の場合、髪の毛はそこそこ濃いんですが、それと同時にスネ毛もけっこう濃いほうだったりして、一長一短だったりします。濃い毛に悩まされる小池さんの気持ちとかもよく分かるんですが、やはりムダ毛というのは剃ったほうがいいんですかね? ムダ毛なんてのは生えていても無駄なだけで、何の役にも立ってない気がしますもんね。僕のスネ毛も、濃ければ多少はクッションの役割を果たすのかと思ったら、スキーでコケただけで簡単にスネの骨が折れちゃったし、手術の時は剃らなければならないして、ホントに邪魔なだけでした。多少の防寒効果はあるのかも知れませんが、この先の季節にはただ暑苦しいだけで、何のメリットもありません。

 とまあ、スネ毛に関しては濃いほうが不利ではないかと思うんですが、一方、味付け。 桑名というところは関西と関東のちょうど中間に位置していて、味付けに関しても関西風なのか関東風なのか、微妙なところになるんですが、うどんの汁とかは関西風の薄味ではないかと思います。東京のうどんのツユは黒くてしょっぱくて、どうも馴染めません。おでんの場合、サバ家ではただ単に “おでん” というと、それは大根、里芋、コンニャク、チクワなどを茹でて、それに赤味噌をまぶして食べる料理のことを意味しておりまして、もう少し丁寧な言い方をすると “味噌おでん” ということになります。 一方、世間一般でいうところのおでんは “関東煮” という言い方をします。 あと、お正月の雑煮は角餅・すまし汁で、具材はシンプルに餅菜と “かしわ” を入れる程度です。 この “かしわ” というのは柏餅のことではなく、高松のほうでは雑煮にアンコ餅を入れるそうなので、一概に否定することは出来ないんですが、普通に考えれば雑煮に柏餅を入れたりするのは、ちょっと抵抗がありますよね。“かしわ” と言えば鶏肉やん。そんなん桑名人の常識やん。…と、僕は信じて疑わなかったんですが、先日、サバ兄のところの子供 (中2男子と小5男子…か?) が家に来て、カボチャに “かしわ” を入れて炊いた料理について語り合ったところ、 「ん、柏餅?」 とか言って、ぜんぜん話が噛み合いませんでした。 “かしわ” が通じない桑名人!? ジェネレーション・ギャーップ! そしたら何か?キミたちは “かしわ” のことを “鶏肉” と呼んだりしているのか?…というと、多分そういうことなんだと思いますが、そんな僕はですね、どちらかというと薄味のほうが好きです。特にカールの “うすあじ” の場合、ちょっと味が濃かったりすると、こんなん “うすあじ” ちゃうやん!…と言いたくなってしまします。

 そんな僕でありますが、チャーハンの味がちょっと薄かったりすると、薄いやん!…と文句を言いたくなってしまうので、やはり濃い、薄いの好き嫌いもケース・バイ・ケースということになろうかと思うんですが、ソース、醤油、タレ、ツユの類も思いきり “べたべた派” ですしね。刺身に付ける醤油は裏表べったりと、まんべんなく。鉄火巻やカッパ巻にかける醤油は、上から垂らして下から漏れてくるくらいでないと駄目です。パックの鉄火巻やカッパ巻を買うとたいてい醤油が不足して、後半に寂しい思いをすることになるので、マイ醤油を持ち歩いたりしております。 フライやトンカツにかけるソースも裏表べったりと、まんべんなく黒くならないと駄目です。割り箸で揚げ物を皿に押し付けると、ジュワーっとアブラ混じりのソースが滲み出してくるというのが理想です。このソースと油のコンビネーションというのが抜群で、例えば僕はシーチキンの缶詰にそのままウスターソースを掛けて食べるのが好きなんですが、最後に残ったアブラ混じりのソースをそのまま飲んだりもします。唇がツヤツヤになって、冬でもリップクリームいらずで、一石二鳥♪ あとはえーと、ざる蕎麦ですか。ざる蕎麦は蕎麦全体の3分の1くらいだけツユにひたして食べるのが通。…などと言われておりますが、問題外だと思います。そんなん、残り3分の2は、ほとんど味がないやん! 蕎麦は全体をツユの中にずっぽり投入して、割り箸で右に3回、左に4回ほどグルグルとかき回して、ツユもろとも一気に啜り込む。時おり飛沫で白いワイシャツが汚れたりするので、出来れば、ざる蕎麦を食べると心に決めた日にはツユ色のシャツを着用することをお薦めしますが、ただこういう食べ方をすると全体の3分の1を食べ終わった時点で、ほとんどツユが無くなっちゃうのが欠点なんですけどね。さすがにマイ蕎麦つゆを持ち歩くというわけにも行かないので、そこが思案のしどころなんですが、ということで、次の質問です。 君はさっぱりしてるのとムサいのとでは、どっちが好きかな? ま、この問題に関しては、いかなるケースに関しても “さっぱり派” が大勢を占めるのではないかと思うんですが、むさい、くさい、ださい。 この、いわゆる“3さい” だけは絶対に人から言われたくないですもんね。 まだ、夕食が楽しみで旅行に来てるのに、メインのおかずが山菜。…といった場合のほうがショックの度合いは低いと思うんですが、とまあそんなことで、今週の漫画です。

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 今週の漫画と言っても、いつも3ヶ月ぶりくらいでしか更新してなくて、ちょっと申し訳ないんですが、それはそうとビル・エバンス。 ギャルや人妻に人気がありますよね。 僕もギャルや人妻たちの間で人気者になってみたいので、ここはひとつ、サバ・エバンスという名前に変えてみようかとも思うんですが、いや、名前だけエバンスにしてみたところで、やっぱり駄目ですかね? エバンスの場合、やはり音楽性が勝負の決め手ということになろうかと思うんですが、オッサンの間では極めて人気の高いファンキーなジャズというのは、ギャルや人妻たちの間では今ひとつ人気がありません。やはり、ちょっとクサいところがネックなんでしょうか? そもそもファンキーという言葉自体、黒人の体臭から来ているスラングなので、ちょっとクサいのはやむを得ない…というか、そこのところがむしろ魅力なんだと思うんですけど。 オトコっぽい体臭とか、胸毛、スネ毛、鼻毛、耳毛。そういう野性的なところに惹かれるエロいギャルというのもいるのではないか?…という気もするんですが、そういうのを嫌うエロくないギャルや人妻というのも少なくなくて、その点、エバンスの叙情的なピアノ・スタイルはいかにもスネ毛とか薄そうで、ああん、オシャレ〜♪ そこへもって見た目的にもけっこうイケてたりしますよね。 エバンスで真っ先に頭に浮かんでくるのは この顔 ということになりましょうか? おお、ダンディですな。特にオールバックの髪型がサッパリしていていいと思うんですが、エバンスに限らず、1950年代〜1960年代のジャズマンというのは、おおむね小ざっぱりした格好をしてますよね。服装もスーツ姿にネクタイ着用だったりして、人格的にどうか?…というのは大いに疑問ではあるものの、少なくとも見た目だけは普通に社会人としてやっていけそうな気がします。例えばエバンスの代表作である 『ポートレイト・イン・ジャズ』 というアルバムのジャケットはよく、銀行員みたいと言われてますよね。 ま、見た目は真面目な銀行員なんだけど、裏に回ればただの淫行好きとか、そういう嫌いが無きにしもあらずなんですが、 「若い時はステキだもんね♪」 と、若いギャル猫がはしゃぐ気持ちもワカランではありません。

 が、1970年代に入ると、ジャズの世界は一変してしまいます。中には無論、音楽的にまったくブレなかった人も少なくはないんですが、そういう人たちは時代から取り残されて、表舞台からは姿を消してしまいます。ロックとかファンクとかソウルとか、そっちの方面に走った人が生き残ることになるんですが、そっちに走った人は当然、見た目的にもソッチ系になっちゃったりします。 代表的なところでいうと、例えばハービー・ハンコックとか。 若い頃、真面目にジャズをやってた頃のハービーは、 こんなに 小ざっぱりしていたのに、ファンクに走った途端、 こんなの になっちゃいました。 音楽的にはブレなかったものの、見た目だけはナウくなっちゃった人というのもいて、例えばボビー・ハッチャーソンとか。 若い頃、真面目にジャズをやってた頃のボビハチは、 こんなに 小ざっぱりしていたのに、ちょっぴり小難しくはなったものの相変わらず真面目にジャズに取り組んでいた70年代は、 こんなの になっちゃってました。ジャズマンというのはどうやら、中途半端にトシをとると具志堅用高になるようなんですが、そんな彼らも十分にトシをとった今、若かりし頃をアヤマチを素直に反省して、きっぱりと “さっぱり系” に戻っていて何よりだと思います。 で、一方、本題のビル・エバンスはどういう状況になっていたのかというと、こんなこと になっておりました。いやあ、晩節を汚しましたなぁ。。。

 統計的に見ると黒人系はアフロになって、白人系はインドの哲人を目指す傾向にあると言えそうなんですが、どちらのほうがマシかというと、ま、どっちもどっちですかね? ただ、ムサいという点で言うとインド哲人のほうに軍配が上がると思うんですが、アフロのほうが頭が爆発しているだけで、ヒゲのほうはノーマルですからね。むさ苦しさの諸悪の根源はヒゲにあると言えるので、 「あたし、おでぶ&オヒゲは苦手っ!」 というギャル猫の発言も、まんざら勝手とは言い切れないような気もします。僕もヒゲのオッサンは苦手ですからね。 ま、小ざっぱりしたオッサンというのも別に好きではないんですが、ただ 「オヒゲは苦手っ!」 って、そういう事をネコが言うというのは、ちょっとどうか?…という気がしないでもありません。そういうアンタもヒゲ生えてるやんっ! ま、猫のヒゲはぜんぜんムサくなくて、むしろ可愛いので、ぜんぜん大丈夫なんですけどー。 ただ、この漫画に出てくるギャル猫って、おしなべて性格が悪そうなのが多いですよね。何も泣くまで罵倒しなくたっていいと思うんですよね。可哀想にクロねこたん、号泣してるやーん。 ま、 「女はウデよりカオで判断・か!」 などとトゲのある言い方をするアンタのほうも悪いので、泣かされて当然という意見もあろうかと思うんですけど。 かくいう僕も完全なる “見た目で勝負派” でありまして、ムサくなっちゃったエバンスはもう、ジャケットを見ただけでパス。 そういう間違った態度のおかげで、内容はいいのに聴きそびれているアルバムとか、たくさんあるような気もするんですが、ま、それはそれで、縁が無かったということなんだと思うんですけど。 とりあえず後期の作品としては 『You Must Believe In Spring』 というのがわりと評判いいみたいで、ジャケットにむさいオッサンの顔も写っていないので、これを期に買ってみようかな?…とか思ったりもしているんですが、春は来ないのだとしても、それでも信じなければいけない。canやmayではなくmustだというところに、エヴァンスの壮絶な決意を感じます。…ですかぁ。アマゾンのカスタマーレビューにしておくのが勿体ないくらいの素晴らしい文章でありますな。 ちなみに僕の書いたレビューは ここ にありますので、よかったら見て下さいね。…って、文字化けして半分読めなくなってますけどー。 「ゴーマン女のノーパン姿に思わず大コーフン!」 …って、いったい何を書いたのか自分でもちょっと気になるんですが、あ、ワカコ先生の作品はどれも号泣必至ですので、涙もろい人は是非、お買い求め下さいね。 とまあそんなことで、今日のところはおしまい♪


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